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最後の碧い海

女房は3年前、乳癌を宣告されたのだが、進行度合いは既に第3期、従って躊躇することなく乳房の全摘出手術を受けた。爾来抗癌剤投入や放射線治療を繰り返し、一時的ではあったにしても癌の克服に成功した。私は彼女の癌に打ち克った勇気、忍耐、努力等に対し何らかの形で讃えてやりたいと思った。その延長線上には彼女が長い間切望していたカリブ海への船旅あった。

何故かしらカリブの碧い海に憧れて来た彼女、長い間の夢が実現した女房の喜びは言いようがなく、こんなことならもっと早く連れてきてやれば良かったと思った次第である。一緒になって30有余年、あんなに毎日乾杯ばかりしたことはなかった。まるで絵葉書を見ているようだった。本物の碧い海、エメラルドグリーンのそれに出逢えた。水平線に沈む夕陽の荘厳さは筆舌に尽くせ難い程だった。満月に照らされた夜の海もまた幻想的だった。

生きていることへの喜びや全てのものへの感謝の気持ちが、必然的にどちらからともなく乾杯の仕草となった。あの重ねあうグラスの音色が、長い夫婦生活の中で今回程心地よく響いたことはなかったのである。そして旅の終わりに彼女が一言。「あなた、素敵な船旅をありがとう。」 明日の命は解らない、だから二人して今ある命に感謝して大いに楽しむ、と言うことを学んだ感動的な旅であった。

不幸にも昨年初め癌が活動し始め、腰骨に転移していることが解り早速放射線治療を再開し暫くして痛みも取れたから取りあえずは小康状態を保つことが出来た。しかし夏あたりから今度は胸部が痛み出した。レントゲンを撮って調べたら肋骨が8ヶ所折れていることが判明し、痛み止めを打ちながら通院したのである。今思えば既にあばら骨にも癌が転移し骨が弱くなっていたからちょっとした衝撃で折れてしまったのだろう。

夏の終わり頃はもう寝返りも打つことさえ辛そうだった。8月25日は結婚記念日だった。毎年何らかの形で二人で祝うのだが、今回彼女は急にメキシコのカンクーンへ行こう、そしてそこで碧い海を見ながら結婚記念日を祝おう、と言い出した。でも身体が言うことをきかない、最初から最後まで車椅子の世話にならなければ行けないよ、と諭した。しかし、それでも彼女は絶対に行くと言って頑として引かなかった。彼女は既に死期の足音がちかずいてくるのを察知したのかも知れない。だから自分の好きな碧い海を最後にもう一度見たかったんだろう、と思う。ちなみにカリブ海は世界で最も海が綺麗なところの一つに数えられている。そしてその中でも、西カリブのカンクーン辺りの海の碧さは、抜きん出ていると言われている。

三年前癌を宣告されて以来、私は彼女の望みや願いは概ね叶えてやってきたつもりである。私の中では、まさかもうすぐ彼女が逝ってしまうなどとは夢思わなかったから、今回のカンクーン行きもその一環であると思っていた。しかし今までと事情が違ったのは、彼女はもう一人で歩くことさへ出来なかったことである。空港やバス、ホテル、いずこの場所でも全て多くの人達の助けを借りなければならなかったが、お陰様で何処へ行ってもみんな身障者には優しかった。

ホテルの窓から見えるカンクーンの海は何処までも碧かった。女房はその美しさが胸部の痛みを相殺してくれるわ、ととても嬉しそうだった。5日間程滞在したがその間たった一度を除きズッとホテルの部屋から出ることはなかった。食事は全てルームサービスで済ませた。三日目の昼に急に浜辺に行ってもっと近くで碧い海を見たいと言い出した。そして砂の感触も楽しみたいと言った。私は彼女を車椅子に乗せ、浜辺に連れて行きロングチェアーに彼女を横たわらせて思う存分碧い海を楽しませてやった。そこでマルガリータを注文し、二人で35回目の結婚記念に乾杯した。潮風がとても心地よく、「ああここは天国みたいね!」と言った彼女の幸せそうな表情は今もこの脳裏に焼きついていて離れない。
旅の終わりに彼女が言った。 「無理や我儘を言ってゴメンナサイ。でもあなたのお陰で碧い海が見れてとても嬉しかったわ。心よりありがとう。」 彼女は泳ぐことが好きだった。だからあの碧い海やプールで思う存分泳ぎたかったと思う。そうすることは叶わなかったけれど、また思うように動けずフラストレーションも感じたであろうが、彼女は最後の碧い海を満喫したはずである。それは恰も迫り来る最後の闘病生活を予期していたから、彼女は敢えて痛みを押し通してまでもカンクーンにやってきたのだと、後になって思えたのである。

牧場に帰り二週間経った。勿論痛みは続行していた。しかしとうとうどうにも我慢がならず9月の10日、ベイラー大学病院に入院させた。主治医の取り計らいで眺めの良い個室に入ることが出来完全看護の環境下に置かれたので、私はひとまず安堵した。

これからまた色々な検査が始まるのだろう。その結果また辛い治療が待ち受けている。そんな彼女を思うと不憫でならなかったが、私は如何なる治療でもそれが彼女の延命を手助けするならば、どんな犠牲を払ってまでも医師団にお願いすることにした。保険できかない癌の新薬や最新の治療方法を施すことで、あわよくば今まで築き上げた蓄積してきた全財産まで注ぎ込んでしまうかも知れない。それでも構わないと思ったし、そうすることが最愛の女房への本当の愛の証であると自らを納得させた。

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