1. TOP
  2. 03)カウボーイ時代
  3. 我が同胞はアメリカで ?

我が同胞はアメリカで ?

アリゾナでの仕事もシーズンオフで終わり、女房も全快したのでまた新しい土地へ移っていった。カウボーイでは女房を養うことは難しいとの結論から少しでも実入りのいい職を求める目的もあった。

よく日本人は農耕民族、アメリカ人は狩猟民族と言われる。先祖代々の家や土地を大事にしあまり動くことをせずそれを守ろうとする日本人と、シガラミもなくましてご先祖様に申し訳ないなどという考え方はないから、そのようなものに余り執着せず獲物がいればそれを求めて何処へでも気軽に移っていくアメリカ人。この国に長く住んでいると私もいつの間にか狩猟民族的発想になっていることに気付く。国民全体がいつも引越しをしている感じで、その様はかっての西部開拓時代の幌馬車を連想させる。

今度は日本人に馴染みの深いロスアンゼルスだった。渡米後の最初の寄港地はニューヨーク、そこで一ヶ月ほど観光三昧、その後ロスへ移動しそこに三ヶ月程滞在したから今回は二度目である。第一回目は35年前、1ドル=360円の時代である。その当時でも流石にロスは西海岸ということもあり日本人が多かった。

私もお決まりのコースで最初は現地の英語学校へ通ったが、そこには50人前後の日本人がいた。結局はいつもその連中とたむろしていたので相変わらず日本語ばかり、英語が上達するわけがなかった。しかしロスと言う街は恐ろしいところで日系人も多いせいか、アメリカに居ながら英語を話さなくても十分生活出来るところなのである。

多くの学生達はアメリカでの将来を熱っぽく語っていた。勿論日本語で。アメリカで一旗挙げて帰国したい組や、永住してアメリカンドリームを実現したい組ばかりであった。しかし、5年後第二回目のロス入りで運良くその当時一緒につるんだ友達がいて彼を訪ねた。彼の渡米目的はジャズのミュージシャンになることだったが、いつの間にか日本レストランのコックになっていた。

彼の話によるとあの当時の連中はもう殆ど日本へ帰国してしまい、今アメリカに居るのは俺とお前だけだと言っていた。そして一旗も夢も実現出来ずみんな失意のうちに帰国したようである。日本で駄目でもアメリカへ行けばなんとかなるさ、そしてアメリカで駄目ならまた日本へ帰ればいいさ、といって渡って来た連中はみんなこの類の結末を迎える。結果的に見たら、この国に住み続ける日本人は二種類のうちのどちらかだ。(勿論現地の日系人や駐在員や学生は別である。)最初から永住しか選択肢を持たない連中と何らかの特別な理由で日本に帰れない連中である。

そしてこの国に住み続ける連中はいつの間にか <日本人であるが、日本に居る日本人とは違うし、かと言ってアメリカ人にはなれないし、どっちつかずの人間になっている。> この様な自分を発見する。そしてこの時期の彼らは日本にいる家族や友人からみたら糸の切れた凧のように写るのである。

この地で成功した人、失敗した人、アメリカ社会にうまく融け込んでいった人、そうでなく日本人社会にドブ漬けになっている人、結婚して家庭を持った人、相変わらず独り者の人。。。彼らの誰もがここではこの糸の切れた凧の状態を一度は経験しているのである。そしてかのフーテンの寅さんの如くトランク一つで見知らぬ土地を渡り歩く、その彼と同じような流れ者の気持ちを味わっているのである。だから私は行く先々でその土地の名を冠にし何とか流れ者と自分を呼んだ。流れ流れた旅路の果てがテキサスであり、私の流れ者人生はここでオシマイということになるだろう。

手っ取り早く私は日本人観光客相手のツアーガイド、女房は法律事務所の秘書として働き始めた。何処で何をしようが面白く楽しいのが新婚生活である。何故なら、最初のうちはまま事であるからだ。私は毎日のように日本からの団体客を空港まで出迎え、それから市内観光、翌日は一日ディズニーランド(東京にはなかった時代だからツワーの目玉でもあった。)というスケジュールのくりかえしでだった。

速成ガイドだったから口上もいい加減、中にはガイドブックなど一生懸命読んできたお客さんにそこはおかしいんじゃない?と言われたが、「 お客さん、そのガイドブックはもう古いですよ。私の方が正しいんです、だって毎日ここに住んでいるんですから 」 と訳の解らぬことを言って押し切った。

ディズニーランドはもう目を瞑っていても歩けるくらいになった。もう十分である。ある時、園内のレストランが込んでいて長い列に並ばねばならなかった。ツワー客の中に何処かの県の、県会議員のエライさん?が数人いて場違いな感じで流石にネクタイまではしていなかったがブレザーを着て、胸にはしっかり議員バッジとやらをつけていた。

あった時から難しい連中だなと思ったけど、やはりトラブルが起こった。秘書みたいなのが私の所へ来て、「 議員先生ですから何とか特別に待たずに食べれるように取り計らって下さい 」ときた。私はよう言うわと一瞬我が耳を疑った。

「ご覧のようにみなさん静かに辛抱強よく並んでいるんではないですか、だからお客さん達もお願いします。」 彼曰く 「 日本では何処へ行っても先生方は特別扱いですから、そこをひとつ何とか。。。。」 何時もは結構冷静な自分の頭が瞬間湯沸かし器になった。私の声が大きくなる。「 ここは日本ではありません。アメリカに来たらその郷に従って下さい!!」 「 でも先生方が。。 」  「日本ではエライ先生かも知れませんが、ここに来たら只の人です。そんな簡単な理屈も解らなくてよう先生をやっていますね?!」今度は少し離れた所にいた先生連中に聞こえるように言った。

秘書役が説明したみたいだが、みんなブスッとした顔をしてその面はツワーが終るまで変わらなかった。まったくこちらが恥ずかしくなる。これは日本人が海外で繰り広げる武勇伝?の一例、氷山の一角である。でもこれは今から30有余年前の話だからあの当時に比べた我が同胞達ももう少し洗練され、世界のあちらこちらで尊敬され愛すべき旅行者やその国の住人になっていることだろう。

日本の常識が世界の非常識、世界の常識が日本の非常識と言われて久しい。ことほど左様に世界は多種多様な価値観が交錯していて一概にどれが正しくどれが間違っているとは言えない。ただ一つ言える事は、“ 郷に入れば郷に従え”ということだ。それが嫌なら自分の国でジッとしていればいい。だから私は英語しか喋らない日本にいるアメリカ人も我慢がならないのである。

125030254572916206267