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彼女のお陰で今日がある

朝起きると「今日もまた一日がはじまります。大いに楽しもうと思うからよろしくお願いします。」 そして夜寝る前に「無事一日が終わりました。君がが見守ってくれているお陰で楽しく面白い一日でした。どうもありがとうございました。」そう言って女房の写真に話しかける。一人でそんな単純な儀式を繰り返すことで不思議と心は和み落ち着いて行く。今の自分があるのは女房のお陰、毎日が感謝深謝多謝の連続である。

私達が結婚したのは1976年、アメリカ独立200年祭で国中が祝いで高揚していた年である。でも私はいまだに何故女房が私との結婚を決意したのか分からない。勿論深遠な真の愛があったからこそなのであるが、ことはそんな簡単に片付けられる性格のものではない。今から40年近くも昔のこと、国際結婚など珍しい時代のことであった。

ちなみに最も新しい数年前のデータを見ると非常に興味ある事実にぶち当たる。いまでは晩婚化が進んでいるとは言え、年間90万組のカップルが誕生している。その中で国際結婚の割合も増えてきて今では全体の5%役45,000件のカップルが国境を越え文化を超え一緒になる。40年も前では恐らく1%にさへも満たなかったであろう。日本人の夫、妻をベースに考えると、パートナーとなる人の国籍の8割以上は中国、フィリピン、韓国で占められる。そして私達のような組み合わせ、夫日本人、妻米国人となるとその比率は0.5%にもならない。まして妻が白人となると、その比率はもっともっと低くなるだろうから、全く稀有の出来事であったように思えてならない。

かと言って私はここで自分達のことを吹聴するつもりはないし、パートナーの国籍がどこであろうとそれが貴賎とは全く関連がないこともよく知っている。ただ、こう言った統計的なものから判断すると、私達の結婚は本当にユニークなものであったと自他共に認めざるをえないのである。まして国際結婚の場合の離婚率は4割前後との統計が出ているから、私達のように35年もの長きに亘り一緒に生き、そして死別まで至るのはもう雨夜に星を見つけるぐらい殆ど例がないくらいの希少価値があるのかも知れない。彼女の生前、そんな話題が持ち上がった時彼女が言ったことがふるっている。「 私があなたを選んであげたからよ 」 だって。

希少価値の結婚生活を通じて私は他の人が望んでも出来ない多くのことを体験することが出来た。彼女はアメリカ南部の保守的な上流の白人家庭に生まれ育ったから、その家族にまつわる伝統とか生活様式、習慣等普通の日本人や外国人ではけっして覗けない味わうことの出来ない世界に私をいざなってくれた。そこには古き良き豊かなアメリカがあった。幸いにも私はニューヨークでの事業をある程度成功させることが出来たので、その大小は如何にあれ彼らファミリーの目から見たらアメリカンドリームの具現者であったから、丁重に扱ってくれ真の家族の一員として温かく迎えてくれた。でなかったら、東洋の小国から来た黄色人種の私など、鼻っぱしにも掛けてもらえなかっただろう。もちろん、女房の存在が大きかったことは言うまでも無い。

女房のお陰で事業も軌道に乗り成功出来たように思う。日本の会社の現地法人をゼロから立ち上げたのだが、アメリカ人が女房と言うことでのメリットは非常に大きかった。日本の本社に対してはアメリカの特性やその市場が解る人材、現地の社員に対してはアメリカ人の心が理解出来るトップとしての信頼を最初から得ることが出来たから、単に日本から赴任し駐在している腰掛的なトップとは大違いで経営面での多くの優位性を持つことが出来た。ましてかってほんまもののカウボーイをやって来たと言う経歴があったからその稀有な存在は会社の成長に大いに寄与してくれたのである。それもこれも女房が白人のアメリカ人であったからである。

アメリカでの商売は生易しいものではない。英語はもとよりアメリカの商慣習や法律、規則やマナー全て学ばねばならなかった私だったが、ことある毎に彼女が私の手助けをしてくれたので、およそ四半世紀もの間ビジネスの第一線で活躍することが出来たし、世界中あちらこちら飛び回ることが出来た。彼女が支えてくれたからこそであった。戦いの場から家庭に戻ってくると彼女は必ずあの愛くるしい笑顔で迎えてくれた。結婚以来如何なる時であろうと私に対してその笑顔を絶やすことはなかった。だから私は常に癒され、充電することが出来たので再び高揚した気分でビジネスの戦場に出かけて行ったものである。

彼女は私の妻であり、恋人であり、戦友であり、教師であり、喧嘩相手であり、時に可愛い子供にもなり、そして息子の母親であり。。。。。一人で何役をも果たしてくれた本当に掛け替えの無い女房であった。その中でも特筆したいのは、彼女は非常に面白い女性であり、私はこの35年間決して飽きることがなかったことである。冗談を言う為に生まれてきたような女性であった。結婚以来二人の間では彼女は私の名前を呼んだことはなかった。毎年と言っていいくらい私に新しい渾名をつけそれで私を呼ぶことに大いなる喜びを覚えたらしい。中には私が赤面するような名前をつけ、人前でパントマイムで私を呼び困らせては楽しんだ。そんなことは彼女がICUに入っている時でさへ続けたのである。全くもってあんな面白く陽気な女性はもう何処を探してもいないであろう。余人替え難しの素晴らしいパートナーであった。

今私の住んでいる牧場は町から6キロくらい離れた所にあるが、勿論お隣さんは指呼の距離には程遠い。町は白人主体で日本人は今の所私だけである。女房が白人のアメリカ人でなかったら、こんな所に住もうなどとは夢にも思わなかっただろう。農村地帯の真っ只中にありながら大学があるから結構高学歴の人たちが多く住んでいる。その為かコミュ二ティの慈善活動や種々のクラブ活動が盛んである。私達はここに移り住んで5年、その間に女房が多くの友達を作ってくれたお陰で彼女が他界した後も彼らが何だかんだと言って声をかけ仲間に入れてくれる。大変ありがたいことである。

時々こんなことも考える。私達の場合は女房がコミュ二ティとの繋がり役になっていたから私が少々偏屈であっても隔離されずに済んだが、これが日本人の夫婦であったら、こんなアメリカの農村で住むのは辛いことだろう。だから大部分の日本人はある程度の同胞がいる都会に住むことになる。私は既に遠い昔身も心もアメリカに移住したと思ってきたが、<三つ子の魂百まで>の例えの如く私の中から「日本」が消え去ることは決してない。だから時々は小さいながらも日本人コミュ二ティがある都会まで出かけ行き、そこで五感に訴えて「日本」を味わってくる。そうすることによって望郷の念も暫し和らぎこの農村での日常生活をまたうまくエンジョイする術を学んだのである。

ともあれ、今日引き続きここテキサスの片田舎の牧場でのんびり平和に暮らしていけるのは全て彼女のお陰である。だから私は毎朝夕、感謝の気持ちで彼女を拝んでいるのである。

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