1. TOP
  2. 牧場人生(1)
  3. 尊厳死と向かい合って

尊厳死と向かい合って

私は何事も気楽に考える方だし、複雑なことや特に哲学的なことは出来るだけ敬遠してきた。私にとっての宗教はいまだにギリシャ語と同じように難しいし、まあ正直解ろうとする努力は欠如している。最近色々な人に言われる。人間還暦も過ぎお彼岸様への距離が少しずつ短くなってくると、普通は対象がなんであれ信仰心が強くなってくるもの、お前さんもそう思わないかい?こちらではさしずめ教会への勧誘文句である。

信心深さと対極にいる自分には中々厄介な問題ではあるが、今迄は思いだにしなかった老いとか病とか死について最近時々考えることがある。少しばかり齢を重ねた所為なのかも知れないが、誰にでも何時かは忍び寄ってくるそういうものへの準備と言うか心構えみたいなものは大事なことだと思う。そして逃げずに真正面から取り組むことも要求される。死への恐怖を少しでも和らげる為の方法があれば、これからは素直に受け入れて行きたい。

ここアメリカでは日常生活での宗教活動が盛んである。神を信ずる人の割合がいつの時代も95%くらいあるアメリカでは至極当然のことかも知れない。とくに南部の諸州はバイブルベルト(聖書地帯)と呼ばれる程宗教心が強い。石を投げれば教会に当たる、私のこの人口8千人足らずの小さな町にも大小併せて20箇所もあるのには驚いた。

子供を含めての宗教活動は多義に亘る。食前の祈り、礼拝への出席、ボランティアや資金集め等の礼拝以外の教会活動への参加、聖書を読む、神や宗教について語り合う、祈り、新聞の宗教欄を読んだりテレビの宗教番組を見る、これらが代表的な活動である。

そして殆どのケースが家族ぐるみであるからアメリカ人は小さな時から宗教との関わりが深い。宗教が解らなければ本当のアメリカは解らないと言われる所以である。そう言った観点からすると私の様に宗教に無頓着な人間は、何十年この国に住もうとアメリカやアメリカ人の本質が解らないのかも知れない。だが逆に宗教が解るからこの国を理解出来るという程単純なものでもない。

私達はことある毎に、義母に詰問された。教会の礼拝は行っているか、子供は教会の日曜学校へ行かせているか、教会を通しての友達はたくさん出来たか、等々五月蝿くて、ノーと言えば説教が始まるから二人とも適当に生返事をしておいた。しかし、その義母が一昨年3月に癌で亡くなる時に私は大変貴重な経験をしたので、彼女から学ぶべきは学んだ方がいいなとその時は思った。しかし、教会へ向かう足は重く、いまだに実現はしていない。

義母は90歳だった。亭主を亡くしてから20年程一人で生活してきたからしっかりし過ぎていた。車の運転も難なくこなし、顔のしわが目立つからと言って85歳の時に皺取りの整形手術もした。

私は冗談で、「バアサン見える所だけしわを伸ばして顔は50台に見えても、裸になったら三段腹だしオッパイは垂れている、で首から下は実年齢の85歳ではバランスが取れないと思うんだど?? 」と言うと 「 今から恋をするのにはチョッと遅すぎるし、だから殿方の前で裸になるような機会はもうないだろうから、これでいいの。余計なお世話をやいてくれてありがとう 」だって。30数年前は私達の結婚をムキになって大反対した義母だったが、晩年はこんな冗談も言える程実の息子と同じくらいの気持ちで私に接してくれた。

彼女は亡くなる半年前に卵巣ガンが発覚し、医師の見立てでは余命6ヶ月と言うことだった。勿論私達は病院にかけつけ医師と面談した。治療方法は限定され、いずれも延命策。一つは抗癌剤投入、しかしそれでも1年から1年半くらいの寿命。もう一つは卵巣摘出手術。他に転移していなかったら寿命は延びる可能性あるも、いずれにしろ高齢なので予期せぬリスクもあり保証は出来ないということであった。医師は彼女に癌であることを告げ、どうするかの選択は彼女に委ねた。

引き続きの検査や一時的治療の為3日程入院していたが、その間彼女は腹一杯泣いたらしい、そして二日目に親しくしている教会の牧師を病院に呼んでじっくり話し合ったらしい。いずれもらしいというのは私達の同伴を彼女は拒んだのである。三日目に彼女はやっと私達を呼んだ。そしてこう言った。

「 色々悩み考えたけど、私はいまだに100歳まで生きようと思っているから、見えないリスクはあるだろうけど摘出手術をします。」とのことで後々どうなろうが自分で選択したことによって彼女は納得するだろうから私達に異存はなかった。医師の話によると普通90歳にもなれば体力的にも大変だからまず手術をしたいと言う人は少ないらしい。でも我が義母様、信念と楽観主義の人であった。

術後の医師の報告は、卵巣は摘出したものの既に小腸にまで癌は転移していて取りあえず見えた部分の癌だけは全部取り除いた、ということだった。その説明は既に手遅れですよということを示唆していた。私達は女房の妹夫婦と家族会議をし、今回はもう彼女に真実は告げないことにした。

それから3ケ月、不思議なことに彼女はみるみるうちに回復し食欲も出てきて、これなら100歳まで生きられると言いだした。私達は24時間介護体制をお願いし、介護人が全ての世話をしてくれたから時々家から電話をかけてその後の様子を聞いたり、元気な義母と話もした。ある時など、翌週は久し振りに大きなパーティに出席するのでドレスを新調したいといってデパートまで行ったようであった。私達は妹夫婦と電話で、一体全体どないなってんの?とみんなで首をかしげ、あのヤブ医者め、と罵った。

クリスマスは家族全員が集まって賑やかく、義母も嬉しそうだった。しかしこれが彼女にとって最後の楽しい団欒となってしまった。年が明けると日に日に病状が悪化してきたので医師に聞いたらやはり後3ヶ月くらいだろうと言った。義母は手術をしてよくなったはずなのにどうして又腹が痛み出したんだろうと愚痴り始めた。私達は家庭内ホスピスのシステムがあるのを聞いたので連絡を取った。またその頃には義母は再び一週間に一度くらいつつ、例の牧師に来訪してもらうような段取りをしていた。

次に彼女を訪ねた時にはかなりやせ細っていたがいい笑顔だった。聞くとホスピスの担当者を先週呼んで、“尊厳死の宣言書”(リビングウイル=生前の遺書)にサインしたらしい。ご存知のようにホスピスと言うのは余命幾ばくもない患者の緩和ケアシステムで、肉体的精神的苦痛を和らげて平和に静かにあの世に旅立つお手伝いをするのが主目的であり、ここでは自分の家に居ながら自らの人生の扉を閉めることが出来るのである。

サインは本人でなければ出来ず、と言うことは義母はいつの間に自分の迫りくる死を受け入れたのだろうか? 彼女は自らの意志で尊厳死を選んだのだった。100迄生きるということについて異常なまでの執着心を持っていた彼女が何故?そして誰がそのように心変わりをさせたのであろうか?!

いつも付き添っている介護人にその辺りの心境の変化を聞いてみたら、やはり牧師の説教によるところが大きいと言っていた。二週間前、牧師が彼女を訪ね暫く話をしたいたら、彼女が嗚咽を始めた。その時に牧師が、「あなたのこの世での生はもう終わりに近ずいています。神に召されて天に昇る心の準備をしなさい。神はあなたを待っていますよ。」と言ったのだと思う。(実際後から義母はその様なことを牧師から諭されたと話してくれた。)

でも牧師が帰ってからは、彼女は再び落ち着きを取り戻しいつもと同じように介護人と優しく話を始めたそうである。そして翌週にホスピスの担当者を呼んだわけだから、彼女はその時からはっきりと死を受け入れる準備を始めたのであった。

ホスピスの看護婦(普通の病院の看護婦ではなく、苦痛なく死んでいけるようモルヒネの量を調節したり、点滴の生命維持用の栄養剤を減らしながら、死へのソフトランディングを助長する役目。)から多分死期は二週間後くらいだろうとの電話連絡があったので私達は義母と二週間一緒に時を過ごし最後のお別れをしようとまた彼女の家を訪れた。

この段階になると看護婦は毎日訪れるようになった。義母は看護婦はもとより我々全員に愛嬌を振りまいている。あれだけ犬が嫌いだったのに妹夫婦が連れてきた子犬をベッドの上に乗せ可愛がっている。昔話もした。娘達には辛く当たったこともあったのでそれを詫びた。急に好きだったピザが食べたいと言ったので私は買って来たが、小さな一切れだけを口にし、私の手を握りありがとうを言った。それが彼女がこの世で食べた最後のものだった。

気丈夫な性格もあっただろうが笑顔を絶やさなかった。私は、死を間近に控えた人間が、どうしてかくも落ち着いて平和な気持ちでおられるのか?!頭が混乱して来た。自分は恐らく彼女のように厳粛に死を迎えることは出来ないだろう。ジタバタして醜態をさらすことだろう。口では<花は桜木、人は武士>と格好いいことを言っていても、いざとなれば潔さの微塵もないかも知れない。

この世で最後の日となろう朝、私は彼女に呼ばれ枕元に添った。まだ意識がしっかりしていたのは驚異だった。私を握る手も声も本当に弱々しいものであったが最後にこう言われた。「 最初にあなた達の結婚に反対した私を、もう一度許して欲しい。私には二人の娘はいたが息子はいなかった。でも私はあなたのお陰で最愛且つもっとも誇りとする息子を持つことが出来てとても幸せだった。ありがとう。さようなら。」 そう言いながら彼女の目じりから一筋の涙が流れた。私は強く彼女の手を握り返し頷いたが感極まって止めども無く流れる涙を拭おうともしなかった。

それから義母は眠りに入った。そして彼女は二度と目を開けることはなかった。夜中過ぎ、脈を取っていた看護婦が私達に臨終を伝えた。義母の顔は安らかでとても美しかった。私は 「お義母さん、どうか安らかに眠って下さい 」とまだ温かい彼女の頬に最後の別れの接吻をした。

私は、彼女の見事な逝き様に感銘しそれを誇りに思うとともに素晴らしき義母を持ち得たことを感謝した。尊厳死については色々な議論があろう。でも過剰な延命治療によって死ぬまでの貴重な時間を、苦痛に耐えながら過ごして命を少しばかり延ばすよりも、鎮痛治療に重点をおいて安らかに死を迎える準備をして一生を終えた義母の決断の正しさが、私に多くを教えてくれた。死は夫々の人が選び取って行くものであることを。

125160082530416417984