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嫁と姑

日本人はおしなべて嫁姑間のドラマが好きである。これはある意味日本独特の文化であるのかも知れない。ここアメリカでも、感謝祭やクリスマスの頃はどうやって義理家族をやり過ごそうかなんていう記事がよくあるので、人間関係は何処へ行っても難しいもんだなとつくずく思う。ただこちらでは結婚した息子の家族が同居とか嫁は夫の家に入るという制度はないので日本ではその分、嫁姑の問題が大きいのだと思う。

日本でもこう言った制度や考え方が一掃されれば皆もっと幸せになれると思うんだが。。。。。
日本では「渡る世間は鬼だらけ」などと言う嫁姑問題をテーマにした多くのテレビ番組がヒットするのも社会の実情を反映しているのかなと思う。逆にアメリカでは妻の母(義母)に悩まされる男性と言うのが典型的ではある。

世の中の一般的イメージとしては、己の身に降りかかる火の粉がある場合は別にして、この所謂「嫁姑戦争」対岸から見る火事としては面白い。だからテレビドラマの視聴率もあがるのではあるが。では何故そんな戦争があちらこちらで起こるのか?それは嫁~夫~姑の三角関係が歪な為にギクシャクした関係に陥るのが殆どだと思うのである。三者が基本的にお互いを尊重し相手の良い所を認めるスタンスを取ることで、良好な関係を保てるのではないか?!だがここでの鍵となるのは、夫のスタンスである。

実は嫁と姑は他人だと認識していない夫が非常に多い。夫にとっては姑は自分を産んで育ててくれた母親、一方嫁は長い年月をかけて愛を育んできた大切な伴侶である。夫はお互いの良い所、悪い所全部を知りつくしている。しかし嫁と姑はお互いその真反対にいる。結婚すいる前から嫁と姑が遊ぶなんてまずありえない。家族と一緒に食事をすることぐらいはあるだろうが所詮それまでである。たった数回、ご飯を食べるだけでお互いの全てを知るなんてまず不可能だろう。

しかもお互いに気を使っているので本当の姿などまるで見えてこない。しかも失礼のない様に気をつけているだけの食卓を囲んでいて見える訳がない。だがしかし、婚姻を結んだ瞬間から望んでいなくとも勝手に嫁姑という関係が出来上がる訳である。夫から見たら家族かも知れないが、嫁から見たら他人以外の何者でもない。逆に夫が入り婿でマスオさん状態だったら同じことを思うはずである。まずは関係上では家族であっても他人であることを夫も嫁も受け入れることが大事なのである。

そして、息子の選んだ人を暖かく見守れない姑は駄目な母親である。結局その場合は嫁の問題ではなく、姑の器や人間性で嫁姑問題が出てくることも忘れてはならない。

私の女房はアメリカ人の嫁、母は日本人としての姑。この奇妙な組み合わせは非常に少ないから一般論は中々通用しない。でも一つ言える事は、お互い相手を世界一の嫁、世界一の姑と思っているところである。彼らがお互いを何故そう思えるようになったのか?夫としての息子としての私でさえよく解らない。彼らが一緒にいる時はまるで実の母娘のように、また無二の親友の様にお互い楽しんでいるのを見るにつけ、前述の嫁姑は赤の他人であると言う私のアプローチは脆くも崩れそうになるのである。

20110301-13

 

そもそもの始まりは女房の妊娠である。それまで私達の結婚を反対していた両親は一気に軟化して当時住んでいたロスアンゼルスまで会いに来た。初対面ではあったが女房と私の両親は意気投合、彼らは女房を家族の一員として温かく迎えてくれた。そして赤貧状態にあった私達を見て、出産は日本でしたらとの申し出も受けた。親と言うのは誠に有り難いものである。でも私は躊躇した。出産は女性にとってはただでさえ大変な作業なのに、女房は日本へ行った事もなく、言葉や習慣も解らない、そんな状況下で果たして彼女は耐え切れるのかどうか?!

その後「産前産後は私が全て面倒を見るから安心して日本へおいで」そう言った母の強く優しい言葉に背中を押され私達は故郷の伊良湖岬に9ヶ月間滞在することになったのである。右も左も解らない、食べ物や文化も解らない、そんな中で出産と言う大仕事を終えた女房は偉かったがそれ以上に母は偉大であった。言葉は通じない、しかし心はしっかりと通じ合っていた。母は感受性の鋭い人であったから、女房が何を欲しているのかを読み取った。女房は5ヶ国語が堪能であったこともあり、母の願いを本能的に嗅ぎ取った。だから、一日中二人の間には笑いが絶えなかったのである。

お互いが何語を話していたのか解らない。身振り手振りも派手にやっていた。二人はあきらかに彼ら独自のやり方でコミュニケーシンを取っていたし、言葉よりお互いの表情を読み取ることで気持ちを通じ合わせていたのだろう。そして嫁が外国人だと姑としての母の受け取り方も違ったのではないだろうか?!同じことを日本人からされたり、言われると「何で解ってくれないんだ。」と言う怒りが湧いてくるけど、嫁が外国人だと「ああ、彼女は日本の習慣も文化も何も知らないからしょうがないかな」と言う気持ちが湧いてきて許せたのだと思う。

勿論賢明な彼女は舅、小姑、達とも問題なく付き合っていったし、超保守的と言われた日本の大田舎の親族の連中とも良好な関係を作り上げたことは言うまでもないだろう。誰にでも好かれる性格は世界中何処へ行っても普遍的なものなのかも知れない。

私はそれ以後ビジネスがらみで世界中を飛び回るような生活パターンになってしまった。でも女房と息子はほぼ毎年夏休みを兼ねて1~2ヶ月、伊良湖岬を訪ね私の年老いた両親のところに滞在した。日本人の嫁であったら、旦那さんなしで舅姑とそんなに長く一緒にはおられないだろう。言葉は喋れなくとも、旦那は一緒に行かなくとも、彼らは十分過ぎる程意思の疎通が出来たのである。そして朝起きたら、女房の日本語での挨拶は 「おはようございます。おかあさん、私はあなたが世界中で一番好きです。」 そして私の母は 「 私もあなたが世界中で一番好きです。」こんな形で一日が始まり、夜寝るときも、おやすみなさい、そしてまた同じ文句を繰り返す。

女房は彼岸に旅立つまで、「自分の病状を絶対日本のお母さんに言わないで欲しい。言ったら彼女は必ずアメリカへ飛んでくるだろうから。」 と厳命された。やがて米寿を迎える年老いた老母が長時間のフライトで駆けつけるのはあまりにもきつ過ぎる。だからそれは彼女が愛した老母いや姑に対する最後の思いやりの言葉だったのだろう。

私は彼女の臨終の後で日本の老母に報告した。老母は電話の向こうで慟哭の涙を流しながら 「いつかこの日が来ると思っていました。私をいたわるあまりのあの娘らしい最後だったのね。私もそんなに遠くない日にあの世へ行けるだろうから向こうでまた会うことにします。」

その言葉を聞いた時、こんな素晴らしい女房と母親を持つことが出来たのは私の誇りでもあるし、またこれ以上の幸せものはいないという自負で一杯の自分を発見することが出来た。