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天国へのラブレター

君が黄泉の国に旅立って逝ってから明日で丸二年になる。日本的にいや仏教的に言うと三回忌と言うことになり、日本では友人知人親族の多くに集まってもらいお経をあげ故人を偲ぶ習わしが一般的だと聞く。でもここは異国の地、まして君はクリスチャンだから「あ、そうなの?」で終わってしまいそうだけど、僕は和洋折衷と言うか僕なりの供養の仕方があるんじゃないかと思い、長い間書いたことがなかったラブレターを書き、明日はこれを君の墓前に捧げようと思っている。

僕は時々、自分だけが少し長生きしてもいいのかなあと思う。君は天空でGPSとなっているから下界で起こっていることは何でも見えるだろうけど、時に降りてきたくなってもそんなことは出来ないものね。たまには好きなコカコーラが飲みたいんじゃないかなあ?君の作ったスパゲティは最高だったね!君と愛犬トラとの会話は、まるで親子のそれと間違う程愛情のこもったものだったね。

一人息子の太郎をハグする時の君の顔はいつも世界一の母の顔をしていたよ。もうそろそろ動物園が懐かしくならないかい?夕方になると決まってベランダの揺り椅子に座って、モウさん達がのんびり草を食む姿を見て楽しむのが君の日課だったね。テレビの西部劇が恋しくないかい?パーティが大好きだった君が逝ってそのことだけは正直ホッとしている、僕はパーティが大嫌いだったけど選択肢はなかったからね。いまじゃ自分で選べるからホント楽になったよ。(笑)

話好き、人好き、パーティ好きの君のことだから、そちらの方でまた新しい多くの友達を作り楽しくやっているんだろうね?!いやそれより先に既にそちらの住人となっている君のご両親や親戚友人知人、そして僕サイドの家族との再会をしばし楽しんでいることだろうね。彼らは君が行って天国もより一層賑やかになったと喜んでいるんじゃないかな?!

月命日に君を訪ねる度にいつも同じことを聞いてきたんだけど、君は答えてくれない。「君はどうして僕を残して先に逝ってしまったの?」 君が存命中はこんなことが起ころうとは夢思わなかったし、お互い友白髪になるまでズッと一緒であることをほんの一瞬たりとも疑うことはなかった。生者必衰会者定離というのは言葉では良く理解はしていても、いざ現実的にそう言った場面に直面してみると、そんな簡単に受け入れられるものではないことがよく分かったよ。

時々急に虚しくなる。一人で生きることに何の意義があるのかと自問する。答えはいつも、「僕は君によって生かされているんだ。君は僕にやってきて欲しいことがあるから、僕を残したんだ。」と思うことで自分を納得させる。しかし、時にはやり残したことなどもうどうでもよくなって中途半端でもいいから、もう君のところへ一目散で逝ってしまいたい気がする。君は僕にとってそれほど大きな存在だったんだよ。

君と過ごした35年間は長いと言えば長かったし、短いと言えば短かった。でも68歳と言うのが君の寿命だったんだ。だから君はその限られた寿命の中で素晴らしい人生を全うして逝ったんだ。人から見ると「チョッと早過ぎたね」とか「チョッと若過ぎたね」とか言われるかも知れない。「もうチョッと生きて人生を楽しませてやりたかったね」と思われるかもしれない。でも僕は決してそうは思わない。

それは君の夫としてこの35年間を共にし、君を全て見てきたから僕だけに言えることがある。君はいつも言っていたね。「長く生きることイコール幸せな人生とは限らない。大事なのは与えられた寿命の中で如何に充実した人生を送ったか、如何にオモシロ可笑しく人生を楽しんだか、に収斂されると思うわ。」そう言った観点からすると、僕は僕の知る範囲において君ほど人生を腹一杯謳歌して、この世の幕を閉じた人を知らない。

逝った者より残された者の方が辛い、とよく言われる。何故なら逝く者の辛さ苦しさは一時その時だけのもの、残されし者の辛さ苦しさ悲しさ虚しさやるせなさ等は生涯続くらしいからね。「死んだ者の損」とよく言われるけど、そうじゃないさ。残されし者は長生きしもっと人生を楽しむ替わりにその代償として引き続き浮世の辛さ苦しさ悲しさ等を背負って生きていかなきゃならないから、決してどちらがいいかという類のものではないだろう。

「人はこの世に生まれて死ぬ日まで、時は休みなく流れ、一刻一刻、人は死に向かって歩き続ける。死ぬために生まれてきたのが人間の運命である。仏教では人に定命があることを教える。いくら抗っても、人間は生まれた時定められたこの世での命の長さを変えることは出来ない。」かの有名な尼僧の瀬戸内寂聴の言葉で、僕はとても気にいっている。だからきみが逝ったのは寿命であるし、僕の人生のローソクは後どのくらい残っているか分からにけど、まあいいさ、僕が逝く時は君と神様が決めてくれると信じているから。

大切な人を失った経験があると、天国の存在を信じたいもの。死後の世界を信じる人間を頭のおかしな人と決めつけるのは間違っていると思う。あの世があるのかないのか、そんなこと生きている人間には誰にも断言出来ることじゃない。人間は地球や宇宙から見れば、ちっぽけな存在。そんな人間が断言できるはずがないだろう。この地球上いや宇宙には人知を遥かに超越したものがあまりにも多すぎる。

ともあれ、どのように考えるかはそれこそ個々人の自由さ。故人はもう苦しみもなく、楽しく天国で過ごしている。そしていつの日かきっと、また会える日が来る。それを救いに毎日を生きている人もたくさんいるんだ。僕もその類いになろうと今は一生懸命スピリチュアルになろうとしているのさ。以前の僕は、あの世や天国なんて本当にあるんかいな?と多分に疑心暗鬼なところがあったんだけど、君をそちらに送ってからと言うもの、大分変わってきたんよ。信じられるかい?(笑い)

ところでね、もう辟易していることがあるんだ。友人知人親族の大方が、この広い牧場で独り住むのは寂しいし大変だし病気にでもなったらお手上げじゃない?とか、何故一人息子と一緒に住まないのとか?、もうここを売り払って日本へ帰っておいで、みんないるから楽しく余生を送れるよ!とか、それがダメならせめてダラスにでも引っ越したら友達も多いし便利もいいし困ったことがあってもヘルプを得るのが容易だから安心できるだろうし。。。。まあみんな親切心で言ってくれるんだけれど僕は「ありがとう、でも結構なお世話です」と言っているんだ。理由は色々あるんだけど、やはり僕の気持ちは君しか分からないだろうネ。

以前から分かってはいたことだけど君が逝ってから特に夫婦間のことは当事者しか分かり得ないと言うことを身を持って体験しているよ。まして夫婦の愛情の深さ広さ強さなんて第3者には絶対に分からない。まあ当たり前と言えば当たり前なんだけど、僕はともすれば一般論で片付けられるのは我慢がならないんだ。これまた親切心からだろうけど、おせっかいな人も結構いるんだね。「この歳での男の独り住まいは寂しいし不便だし大変だよ、だから再婚を考えたら?」こんな話はもう耳にタコが出来るほど聞いているんだけど、ホント「ほっといてくれ」と言いたくなるよ、全く。

僕が誰がなんと言おうとかたくななまでこの地に固執する理由は色々ある。それはこの地から君は旅立って行ったし、またここは君のいる天国に一番近い場所だという事を僕は知っている。それ以外にも理由を羅列しようか。

一つは君の墓守をすること。近くに眠っているから何時でも行けるし寂しいなんて絶対に言わせないから。二つは、僕達は数えたらもう一緒になってから15回も引っ越した。だからここが終の棲家、もう何処にも行かないと決めたよね。三つは、この牧場は長いこと君と僕が苦労してかせた大輪の花、そしてこの世で君の一番お気に入りだった場所、だから僕はそちらへ逝く迄君のお望み通りこの牧場を国立公園のように綺麗に維持管理していくよ。四つは、僕はカウボーイだしアメリカの水が合っているし、何にもましてこの地にいると幸せ感に包まれるんだ。たくさんの君との思い出が詰まった牧場の内外、家具屋調度品の全て、そう言ったものに囲まれることで僕は四六時中君を身近に感じることが出来るのさ。五つは、僕は未来永劫君の恋の奴隷さ。そしてここ以外の何処へ行ってもけっして心の安寧はえられないことを僕自身が一番よく知っているからね。

去年は知っての通りととても酷い干ばつだった。異常気象の所為かどうかは分からないけど生態系に微妙な変化が生じているのかもしれないんだよ。だって今年は2月の寒い時期に子牛が8頭も生まれたんだぜ。こんなことは君と牧場を持ってから初めてのことで驚きだね。でも「年年歳歳花相談似たり、歳歳年年人同じからず」で動物の世界や悠久の自然は基本的には変わらない。この牧場の風景だってまるで10年一日の如しで、7年前に君とここへ移ってきてから全然変化していない。ただただ変わったことと言えば君がここにいないこと、それを考えると誠、悔しい思いがしていたたまれなくなるが、自分ではどうにもならないことだからもう苦悩することは止めたよ。自分が惨めになるだけだからさ。

君が逝ってから僕なりに決めた事が沢山あるんだ。そのうちの一つが旅行さ?!日々の僕の生活圏は知っているよね。この牧場を中心に、田舎町のコマースに入り浸り。時に都会的な雰囲気に触れたくなったら、車で小1時間程のダラスへ。そして年1回の日本行きもまた楽しみの一つ。それ以外はもう何処へも行きたくないし行かない。だって一人で行っても全然面白くもないし、楽しくもない。

連れ合いを亡くした多くの人達はかって二人で行ったことのある思い出の場所を訪ねありし日を邂逅するらしいが、僕には絶対出来ないことさ。だってそう言った場所には必ず君が僕の傍に居なければならないんだよ。以前フランスへの一人旅を終えてここに帰ってきてつくずく分かったんだ。

勿論僕は分かっているさ、僕の心の中には常に君がいることを。しかしそんな時に物理的な君が傍にいないことを認めざるをえないこと程僕にとって過酷なことはないいんだよ!そしてその為に再び自分を見失ってしまうかもしれないんだ。でも、今じゃ君が遺していった「明るく生きて、正しく生きて、前向きに生きて」という言葉を忠実に守ってきたお蔭で、折角立ち直ったのにまた以前のように落ち込んでしまうことは絶対に避けねばならないと思っているからそう言った状況に自分を置くことを意図的に避けているんだ。

何か似たようなことを繰り返し言っているような気がしてるけど、要は時々は夢の中にでも出てきて下さいな!そんな欲は言わないよ、彦星と織姫だって年に一度だけは会えるように神様もそんな計らいをしてくれたんだから、僕達は年に2回くらいはどう?

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