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半世紀振りの同級会

懐かしい旧友と再会できる同窓会やクラス会や同級会。呼び方は異なれど行き着くところは皆同じ。長い年月を隔てているからこその感慨深さや、学生時代の気持ちに戻れる楽しさは、何にも代えがたい。ひとたび集まれば輝かしい青春が蘇るのである。

この手の集まりは50歳代、60歳代、70歳以上と年齢が高くなる程参加者の数は増えて行く。それは仕事がひと段落するなどして、かっての仲間達と旧交を温める時間や気持ちのゆとりが出てくるのであろう。とともにある時期をピークに参加者は減っていく。旧友達が物故者になっていく寂しさは例えようもないが、しかし残された者で彼らを偲び、その供養も同時にすることでこの集いに意義を見出し参加してくる者も多いことは間違いないだろう。

私は小学校から高校までを田舎で過ごした。だから同級会は大体お盆や正月に多くの同級生達が帰省するのを機に催されるのが通例である。今回は女房が他界したこともあり、33年振りの年末年始を故郷で迎えることにした。狭い田舎での情報伝達は早い。私が久しぶりに帰郷することを知ってあっと言う間に小学校、そして高校の同級会がセットされたのである。またそれ以外にも小人数であったが大学のゼミ仲間が教授を囲んでのミニクラス会も大阪で開いてくれた。

私は遠く異国の地に住んでいる故中々旧友達との旧交を温められる機会は少ない。しかし感覚的に同級会のメリットはよく理解出来る。『旧友の近況を知ることができる。』こと。青春時代を共に過ごした友人が元気にしていることがわかるのは、やはりうれしいものである。続いて『思い出話、昔話をすることができる』こと。「あの時こんなことがあった」「こんなことを言っていた」など昔話に花を咲かせて、その時代の活気と熱気がそのまま蘇って、昔に戻るような気分を再び味わえるのはやはり良いものである。そしておしなべて男性は昔のことや自分のことを話すことに魅力を感じ、女性は同窓会を新たな交流を作る場として魅力を感じるらしい。

人生90年時代、皆現役を退いてからの人生は昔より遥かに長くなっている。だから多くの人達が旧友との再会や新たな交流復活に喜びを見出そうとしている。会社とも地域とも関係のない、そして変なしがらみがない友人と昔の気分そのままに交流できる楽しさは何者にも代え難い。お互い利害関係のない間柄と言うのは、長続きもするし素晴らしいものである。

小学校の同級会。半世紀振りに会う仲間達は、不覚にも私には誰が誰だかさっぱり分からなかった。ところが、私の顔を見るなり、「やあ、お前じゃないか!」と声をかけてくる奴もいた。私の顔は子供の頃からそんなに変わっていないということか。それでも暫く話しているうちに段々に昔の悪童の雰囲気をお互いに思い出してくる。そこは大人になってからの知り合いと違い、一度打ち解けだすと知らず知らず子供同士の話しみたいな雰囲気になってしまう。それがまた何とも懐かしい気分になるものである。勿論私のお目当ての幼馴染、初恋の君も顔を見せてくれたから私の喜びが倍加したことは言うまでもないことである。

ひとしきり50年振りの再会を喜び合った後、誰言うともなく、また来年集まろう、という声があがった。もちろん反対する者もなく、次回幹事もすんなり決まった。私にとってはこう言った形の同級会が増えることで、また一つ楽しみが追加されたような気がする。女房がいなくなって良くなったことはあまりないが、しいて挙げればもう彼女にお伺い?を立てなくとも何時でも何処でも好きな所へ行けることが出来る自由を手にいれたことであろうか?!来年はまた同じような旧友達の何人が元気な顔を見せるだろうか?

高校の同級会。ごく親しい人を除いてほとんどが50年振りの再会だった。みんな貧しくだが一生懸命だった旧友達は、この50年恰幅は良くなったがやっぱり同じように生きて来たように思えた。いつもは、自分の人生は自分一人のものと言う考えを支えに生きてきた様な私だが、机を並べていた17,8歳の仲間達が揃って65歳になった顔を見ると、同じ時代を生きて来たと言う連帯感をしみじみ覚えた。この50年、幸いに戦争にも会わず暮らしぶりも想像以上に豊かになった。年金でゆったり余生を送っている我々はいい時代に生まれ合わせた、多くの旧友のこんな意見に私とて異論はない。

私はこの同級会くらい懐かしく、また楽しみなものはないだろうと思う。それは私自身の人生航路の 『憩いの港』へ入ったような気がするのである。港では食料や飲料水、燃料などを積み込んで再び出航するのだが、この同級会はそう言う人生航路に必要なエネルギーを与えてくれると言えるのである。

卒業以来、何十年も会わずに夫々が異なった道に進んでもそれがこの会で顔を合わせると最初は「誰だったかなあ?」とちょっと思い出しそうでいながら分からない。だがひとたび名乗り合うとたちまち「や、どうも!」となって肩をたたいたり中には「何だ、お前か!」なんて何十年過ぎても「おい、こいつ、おまえ、おれ」でタイムカプセルのトンネルを通じ一気昔に返って話合える。そしていつの間にか幼顔に戻って時を過ごす。同級会は確かに若返りの奇跡の場所だと思う。そして未来へのエネルギーの泉なのだとも。

大学のゼミ仲間との集いはこれまた一味違う。高校時代までと異なりほぼ各人の人格形成がなされた頃の付き合いであるから、再会してもそんなに違和感もないし、「あれ、誰だったかな?」と言った戸惑いもない。ただあるとすれば卒業後に夫々が歩んできた人生は将に千差万別、100人の同級生がいれば100通りの異なった人生ドラマがあるということである。あるものは大企業のトップに上り詰め、あるものは大学教授になっている。別のものは会計士や弁護士となり、かたや家督をついで事業を飛躍的に拡大したものもいる。そして役人になったものや、私のように海外へ飛び出し彼の地に根ざしそこで人生の終焉を迎えようとしているものもいる。

人生はまこと面白い。人夫々に登ってきた山がある。しかしいつかは下山して麓に戻ってこなければならない。己の人生の終章を閉じる時、その山を振り返る。でも誰かの山が気高くて、誰かの山がみすぼらしいと言うことはない。だから自分で登り降りてきた山が例え他の峰々よりも低かったとしても、自分なりの山を征服し人生やるべき事をやったと言う達成感が感ぜられれば、望外の幸せという他ない。

20110301-14

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