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人生吾以外皆師

私の今まで歩んできた人生もこれから歩まんとする人生も一貫した言葉が凌駕している。< 謙虚に生きたい >という姿勢から人生吾以外皆師と常々思い、あらゆる局面であまたの人々から貴重な人生の教えを享受してきた。色々な失敗もしその度に厳しい叱責も受けたが、今思うとそれらは私に対しての愛のムチであった。また時に多くの師からの激励を受けたがそれらは私に対して、充実した人生を送れとの餞であったと思う。

私は完璧には程遠い人間である。だからどの様な人と接しても、その人には必ず私に無いものがあり、私が勝てないものを持っていることを知っている。だから私はそれらを一生懸命吸収して己の成長や人生の糧としきた。極端なことを言ったら悪人とさえ言われる人、ろくでなしと言われる人からも学ぼうとしたのである。人生死ぬまで勉強とよく言われるが、実際書物を読んだり講演を聴いたりするよりも、実在の人から学ぶ方がはるかに解り易く且つ面白いことは間違いない。

従って私の師はこの世で何万何十万といるわけだが、< 人の生き様 > という点では私はこれ以上は望めないという素晴らしい師に恵まれた。それも身近に、そしてこの世に生を受けてからズッと私の人生の師として貴重な役割を果たしてきてくれた人達。それは私のオヤジ、オフクロである。

オヤジは3年前に逝ってしまったが、彼程人生を謳歌したであろう人を私は知らない。オヤジは定年まで勤めあげ、地元の中学校の校長を最後に教職から足を洗った。その後暫くは村の公民館でパートタイムで執事の仕事をしていたがそれも辞めた。一時期ゲートボールに熱中したが、年寄りの余暇でただ楽しめばればいいと思っていたのがチームの中に威張り散らすジジイババアがたくさんいて、それに辟易して長続きはしなかった。それから急に模写を習い始め多くの傑作?を残したがそれも止めた。

それ以後は仕事をする訳でもなく、飲みに出かけるでもなく、ボランティアへ行くでもなく、何とか教室へ通うでもなく、小旅行に行くでもなく、またこれといって特別な趣味があるわけでもなかった。家族の面々やまわりの人達から「 ジイサン、よう退屈せんのお?!」と言われたが本人は馬耳東風、「 今までの人生、家族や人様に嫌程尽くしてきたから、これからの残りの人生は自分の好きなようにやるんや。何もしなくとも人生十二分に楽しんでいるから余計なお世話だ。ほっておいてくれ !」

それから20年以上そのような生活をして90歳になった秋、「 あの口喧しいジイサンが急に大人しくなったので気持ちが悪い 」とオフクロが電話口で不安そうに言った。「一部ボケが始まっていたので最近は毎日朝から晩まで同じことでジイサンに叱られっぱなしだったけど、五月蝿いくらいの方がジイサンは元気な証拠、もう一度叱られてみたい。」というようなことをオフクロが言っていたのがとても印象的であった。最後まで自分の好きなものを腹一杯食べ自分の足で歩き続けて来たのだが、それから二週間後の夜床につきそのまま眠るように逝ってしまったのである。これを大往生と言わずしてなんと言おうか?!

オヤジはまぎれもなく人生を謳歌して逝った。彼のとりわけ晩年の人生を振り返る。仕事や生き甲斐、趣味や友達がいなければ長い老後は生きられないと言う最近の中高年世代はある種の強迫観念に陥っているような感じがする。メディアもこぞって老後の生き方はこうあるべきだとの特集を組む。しかしそんなものはなくても人はちゃんと生きていけると、傍から見ると無為に思える様な父の人生が教えてくれるような気がするのである。

オヤジとは対極的な生き方をするオフクロの晩年はとても興味深く、私は一種畏敬の念をもって眺めている。齢86才、電話で話す度に今尚かくしゃくとして還暦を過ぎた息子の私に人生の薫陶をたれている。カラオケ、幸せ会、お花教室、小旅行、同級生との駄弁り会、太極拳、加えてあまたの冠婚葬祭まで、冗談半分に 「私は出っ歯でもないのに出っ歯だから」 と毎日のように出かけて行く。全く休むことを知らない人間機関車ザトペックのような元気印のバアサンである。 「この歳になっても疲れることがないから私は異常体質かも知れない」 と恐ろしいことも言う。人に頼ることなく何でも自分でやろうとするからボケている暇がないし、私の直感からすると恐らくボケることはないと思う。自分の母親ながら余りにも凛としてしっかりし過ぎている。オヤジと一緒でオフクロもPPK(ピンピンコロリ)を狙っているのだろう。

常々オフクロは、自分の生き様が少しでも若い人達のお手本になってくれればと思うとオチオチ歳なんか取っておれないと言っている。やがて90歳にもならんとする人間からそんな言葉を聞いて若い私達はもう煽られっぱなしである。その日その日を悔い無く楽しく生きることを実践していけば己ずと人生に勝利することが出来ることを彼女は嫌程解っているのだろう。

ともあれ私は大変な両親を持ったものだと誇りに思うし、尊敬と感謝の念で一杯である。両親の歳まで生きようと思うと後四半世紀もある。彼らの教えよろしきを得て一生懸命だがあくせくしない生き方をしたいと思っている。そして願わくば、< この親にしてこの子あり > と思えられる様な余生でありたい。

20110301-4

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