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人生で一番輝いていた日々

私達の夫婦生活35年、それは山あり谷あり晴れた日あり雨の日ありの連続ではあったが一つだけ常に変わらないものがあった。それは「唇に歌を心に太陽を」ではないが常に「夢と希望」をどんな時にでも持ち続けた。赤貧の時代でさへ「そのうち何とかな~るだろ~う。」の植木等ばりに、いつも陽転思考でもって毎日を過ごしたから家庭内に笑いが途絶えたことはなかった。二人いや息子と三人で一緒にいることが出来ればそれだけで十分幸せを感じていたのかも知れない。家族と言うのはそんなものである。

だから私達が一緒に過ごしてきた人生は概ね輝いていたのだが、とりわけ5年前私が長年携わった会社人生に別れを告げ、テキサスの牧場でリタイア生活を始めてからが所謂私達の人生で最も輝いた日々であったことは間違いない。

女房は長い間の念願が叶い私を四六時中占有した。会社人生、社長としての責任と忙しさからろくに家庭をも顧みなかった私に何かその罰めいたものを与えるかの如く、私は彼女の掌の上で踊りを踊らされた。何処へ行くにも彼女は私を連れて行ったし、私も彼女が言わなくともついていった。街を歩くときも散歩をするときも買い物をするときも私達は仲良く手を繋いだ。結婚して30年、「さあ、これから私達の新婚生活が始まるのよ。」 その当時嬉々としてしいつもそう言っていた彼女の愛くるしい笑顔を忘れることは出来ない。

彼女の好きなものは多岐に亘った。パーティ、ボランティア、インテリアデコレーション、ガーデニング、ショッピング、ダイニング、トラベル、美術館博物館水族館めぐり、動物園植物園散策。。。。そして極め付きはやはりランチング(牧場の運営)であった。これらを精力的にこなす彼女に私も忠犬ハチ公の如く寄り添いついていった。そうすることで長い間家族に寂しい思いをさせた罪滅ぼしになればと私は遅ればせながら一生懸命家庭サービスをしたので彼女はすこぶるご満悦であった。

そしてその時学んだのは、家族生活に幸せを求める最も身近かな方法は、まずは何をさておき『山ノ神』を幸せにすることである。そうしたら必然的に家庭は明るくなり笑いが絶えず楽しい日々が送れるようになる。しかし残念ながらその逆はあまりあり得ない。旦那は好き放題やって幸せだが、同時に女子供も幸せを感じる家庭はまずあり得ない。それは私の長い人生経験からそんな情景を嫌ほど見てきているから確かである。

パーティは出かけて行ったり家に招待してホームパーティをやったり。もう数え切れないほどだったのでパーティ嫌いの私も最後は楽しむようになった。彼女は話好き、人好き、賑やかいのが好き。あちらこちらの人達と話す彼女は生き生きとしていたし目が輝いていた。それはまるで蝶の舞を見ている様、実際彼女はこのコミュニティの友達から「ソーシャルバタフライ」と言うあだ名までもらっていたのである。

ボランティアもあちらこちら掛け持ちをし毎日のように出かけて行った。乳癌が再発するまではいっとき5つの団体に首を突っ込んでいたくらいである。犠牲的精神が旺盛だったのか、あるいは気前が良すぎたのか、金銭的にもかなりの出費を余儀なくされたがそれで彼女が満足なら幸せなら私は殆んど異議を唱えず彼女の好きなようにさせた。自分よりも弱きもの、貧しきもの、病めるものには徹底して奉仕してきたので、彼女が他界した時私の知らない大勢の街の人達が、彼女の為に哀悼の意を表してくれたのには驚いた。彼女は私の知らないところで街の人気者になっていたのである。

インテリアデコレーションにしてもしかり、若い頃いっとき将来はインテリアデザイナーになりたいと言う思いもあって暫くその関係の学校にも通ったらしいが、途中で方向転換をした。でもそんなのだから、家の内外の装飾やレイアウトは五月蝿かったしセンスも非常に良かった。この牧場に引っ越してきたとき、全てのデコレーションは彼女に丸投げした。いあやそうせざるをえない程彼女には拘りがあった。我が家を訪れる人が一様にここはモデルハウスのようだと褒めてくれる程、素敵な城に出来上がった。だから彼女亡き後も私は家具や調度品は全て動かさずにそのままにしてある。そして将来も私の目が黒いうちは手をつけることはないであろう。これらは彼女が精魂こめて飾りつけをしたマスターピース。だからその中で余生を送っていくことで私は常に彼女を感じることが出来ると思うからである。

彼女の多岐に亘る活動をいちいち話していたら切りがない。しかし私達の夢の実現が叶った牧場取得とその運営については少し触れておかねばならないだろう。この牧場こそが、私達の結婚生活、夫婦生活、家庭生活全ての凝縮、すなわちハイライトであるからである。

私達は、私が60歳になる迄その夢が実現の為に一生懸命働き努力してきた。そしてリタイアする
2~3年前から所謂「大いなる西部」と言われる諸州にある適当な物件を漁り始めた。バケーションを取る度に私達は何処かのリゾートや観光地に行くのでなくニューヨークから西部へ西部へと向かった。それは日常生活の中でカウボーイハットとブーツを身につけても違和感のない所であれば何処でも良かった。的は徐々に絞られていきコロラド、ニューメキシコ、テキサスの3州の所謂カウボーイカントリーが残った。以来何度もそれらの州に足を運び、訪ねた牧場の物件は70箇所にも及んだ。だから終わりの方では、私達は物件をチョッと見るだけでそれが私達の求めているものかどうかすぐ分るようになった。

急ぎはしなかったが、後一年で60歳になるというときに運よく私達の希望を100%満たしてくれる牧場をテキサスで見つけることが出来た。その瞬間、二人は身の毛もよだつ程の戦慄に襲われた。それは恐ろしさからでなく歓喜のあまりの身震いであった。私達は間髪を入れずその日に売買契約を済ませた。ホテルへ帰ってから二人で乾杯の連続、そして話が弾みすぎて興奮しその夜は一睡も出来なかったことを覚えている。

「ああ、これで私達が長年抱き続けてきた夢がとうとう実現するのね!」
「長い間辛抱しついて来てくれてありがとう。これで君にプロポーズした時に誓った約束が果たせて、正直ホッとしているよ。」
「さあ、これから二人して大いに人生楽しもうね!」
「望むところさ。」

牧場生活が始まってからと言うもの、全てが楽しく充実していた。毎日がまるで映画を見ているような錯覚に陥った。と言うのは私達はケーブルテレビと契約し、朝起きてから夜寝るまで西部劇専門のチャンネルしか見なかったくらい西部のライフスタイルに心酔していったのである。毎朝早く愛犬トラが起こしに来る。だから荘厳で美しい朝日を拝むことで一日が始まる。時には一日中二人して雑用をこなしながら牧場内で過ごす。夕暮れ時、二人はポーチにある揺り椅子に座り、ワイングラスを片手にモウさん達がノンビリ草を食む光景を眺める。言葉は必要なかった。何も語らなくてもお互いが何を思っているか分る。この牧歌的で平和な風景こそ私達が夢見てきたもの、長い道程だったけど私達には大きな達成感があった。

そこには私達の人生の中でもっとも輝ける日々があった。幸せ過ぎて怖いくらいだった。ハッと息を呑むような雄大な夕陽も捨てがたい。夕食の後、再びポーチの揺り椅子に座り今度は満天下の
星を見る。公害ゼロ、街灯りゼロのここテキサスの大いなる田舎、まるで星が手に届くような距離で無数に瞬いている。山のない360度の景観はまさに満天下と言うに相応しい。私達は楽しく面白くそれでいて充実した素晴らしい毎日が永遠に続くような錯覚に陥った。

Sunrise/sunset 005

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