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二つの異文化の狭間で

人間生まれて来る時もまた死んで行く時も一人である。そして自分の意志に関係なく生まれて来て、そして死んで行く。私達は見えない力で生かされている、とよく言われる。その見えない力というものが神であるのかも知れない。しかし、良いことも悪いこともこれ全て運命と簡単に片付けられることには抵抗がある。幸せな星の下に生まれた、不幸な星の下に生まれた、というのも運命的な響きがするから好きではない。何故なら私は運命は自分で切り開いていくものだ、という言葉にエールを送りたいから。しかし言うは易く行なうは難しである。

テーマから少しかけ離れた始まりだが、両親が夫々異なる国籍を持って生を受けた子供達は必ずいつか上のような命題にぶつかるのが普通である。「 自分は何故混血として生まれたんだ?!」とか 「 好きこのんでこんな形で生まれてきた訳じゃないのに、何故だ?!」小学校に通い始めた頃、息子が救いを求めるような目つきで私達に迫るた20110301-2びに、心が痛んだ。彼の学校区は殆ど白人の生徒で占められていたから、結構イジメやら嫌がらせを受けてきたらしい。彼はそんなに多くを語らなかったが、担任の先生との懇談で色々判明した。

その頃息子は妙に反抗的になっていた。今では社交的過ぎる程なのだが当時は他の子供達とうまく付き合っていく術も知らず、混血ゆえに誹謗中傷を受けどんどん自閉症的な子供になっていった。私は多忙さも手伝ってゆっくり彼と対話する時間を持たなかったことを大いに反省もし女房とも色々救援策を話し合ったが、答えは出てこなかった。そんな状態が暫く続いたが、私はある事実に気付き始めた。

私は一年おきに夏休みになると1-2ヶ月息子と女房を日本の実家の祖父母の元へ送った。二人とも日本大好き人間だったから、何時も多くの楽しい体験話をもって帰米してきた。女房の話によると、息子は日本にいる時は生き生きしている、アメリカにいる時とはまるで別人のようだと驚いていた。彼は日本に自分のルーツがあることを誇りに思っているようである。

息子が大学生になるまでそんな日米間の行き来が続いたが結果的にはそれが効を奏したようで大きくなるにつれて彼の“混血”に対する見方、考え方が変わってきた。どのような形で嫌悪から感謝や幸運な感情に移り変わってきたのか解らないが、ある時から祖国や文化を二つ有することの恩恵を吐露し始めたのである。自分は今までハーフと思ってきたが実はダブルなんだ、日本とアメリカの全てを同時に理解出来たり、夫々の利点を享受出来たりするから普通の人達より何倍も価値観や人生観が広がって、それをとても有難いと思うようになってきたし自分のこれからの人生にとって大いなるプラスである、と。

国際結婚=異なる文化の葛藤  である。私も女房も毎日が異文化同士の戦いであったし、それは今尚続いているし死ぬまでこの戦いは続くであろう。お互いの生まれ育った環境や言葉、食べ物、習慣、ものの見方考え方、全てが違うのだから軋轢があって当然である。でも私達は大変健全な方法で解決策や妥協点を見出してきた。喧々諤々のディベート(討論)こそが唯一お互いを理解し合える手段である。両親のかかる毎日のやり取りを通して息子は、文化や民族の違いを学んでいったと思う。

こちらの大学を卒業し暫く仕事をしたが、ある日彼は私達にこうアプローチしてきた。「僕はオヤジの生き様を見てきた。全てに同意出来るわけではないが自分の感情に素直に生きてきた姿勢は尊敬したい。オヤジは常々男の幸せとは自分の好きな所に住み、好きな女と一緒になり、好きな仕事をすることだ、と言ってそれを実践してきた。だから僕もそうしたい。」父の国で生まれ、生後4ヶ月で母の国に来た。そこで育てられ生活し成長し大人になった。彼が出した結論とは? 日本に移住し、願わくば人生のパートナーとして日本女性と一緒になり目立たなくてもいいから一隅を照らす仕事をしたい、ということだった。

彼が日本に移り住んでからやがて一年になる。日本の生活や習慣に慣れたり、日本語をマスターしたり、職場で何とか使ってもらおうと一生懸命努力を続けているようである。仕事上での慣習や進め方に於いて文化の違いを主張して色々な人達から叱られているようだが、それも当然のこと。日本では彼は底辺から出発しなければならないのだから少しずつ学んでいくしかないだろう。私も30年以上も前のこと、この国に住み始めた頃全く同じような体験をしてきた。郷に入れば郷に従え、世界中何処へいってもこの諺は生きている。

女房は昨年乳癌の全摘手術をした。術後の経過は順調ではあるがいつ再発するかも知れぬ心細さもある。だから一人息子ゆえに指呼の距離くらいの所に住んで再々顔を見せて欲しいと思うのが女親の本心ではないのか?母と息子、お互いを思いやる気持ちは山よりも高く海よりも深い。でも彼らは遠く離れて暮らすことに何らの躊躇も無い。心が通じていさえすれば何処に住んでいるかは第二義的になっているようである。息子はもう帰って来ないかも知れない。でも女房曰く「 何処に住もうと彼が幸せであれば私も幸せ。物理的に近くに住んでいても彼が幸せになれないのなら、何の為の彼の人生か?彼には彼の人生があるんだからこれでいいの。」

彼も日本での生活は思うほど簡単ではないことが分るだろう。あの社会は独特である。今尚根強い「日本異質論」がある。だから日本的な慣行に合わせていくのには時間もかかる。暫くは試行錯誤の繰り返しで、皆んなに叱られ、責められやっていかなければならないだろうが、それも通らなければならないプロセス。願わくば何とか父の国に受け入れてもらいたいと言うのが私の切なる願いでもある。私も時間はかかったが何とかアメリカに受け入れてもらえたと思っている。何時の日か、日本に住むであろう息子夫婦に私達の孫が出来、その孫はアメリカに住みたいということになったら、こんな痛快なことはない。そんな地球家族に興味深々の昨今である。

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