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ロデオ、これぞアメリカ

ロデオとはカウボーイがラウンドアップ(原野で野生化した牛や放牧地にいる牛を一斉に捕らること)で集めた牛の焼き印押しや出荷などの作業終了後に、自慢の腕を披露する遊びから始まったものである。 当初はアメリカやメキシコを中心としたカウボーイ文化を背景に、度胸試しや腕試しの要素が強かったが、戦後はプロスポーツとして組織化され毎年全米各地で大会が催されている。最近はカナダの一部でも盛んであるが、本場のロデオと言ったらアメリカンフットボールと同じようにやはりアメリカが今までもこれからも圧倒的に他国の追従を許さない。しかも動物相手故に最も危険なスポーツだと言われている。

アメリカにはかって程でないにしてもまだまだ多くのカウボーイはいるが、ロデオカウボーイとなると話は別である。プロとアマチュアの違いはあれど、暴れ牛や暴れ馬に乗る連中は普通のカウボーイとは違うメンタリティを有している。腕や足や肋骨等の骨折は日常茶飯事、落ち所打ち所が悪ければ最悪命を落とす危険性があるにも拘らず、ならず者の牛や馬を如何にうまく乗りこなすかにエクスタシイを覚えるようである。(ちなみに私も足首を骨折している。)だから荒っぽいマッチョばかりである。勇猛果敢に動物達に挑戦していく彼らの姿は戦場の勇士に似て誰もが痺れる。本当のアメリカやアメリカ人を知りたかったら、ロデオを見ることを勧めたい。そこには上っ面の観光旅行や日常生活では見られないアメリカの別の顔があるからである。

これまたいっぱしのカウボーイになる為の一環として私はある時暴れ馬に乗ることを決めた。その為にはロデオの学校へ行くのが手っ取り早い。オクラホマ州の南の方にヘンリヤッタという小さな町がある。そこに15回も世界チャンピオンとなったジムショルダーのロデオスクールがあってそこへ入学した。毎回一ヶ月間のクラスがあり年に何度も生徒達を受け入れるのだが、私が行った時は200人くらいのカウボーイが全米各地から集まっていた。その当時も相変わらず私の英語のレベルは低かったから、見よう見真似で朝早くから夕方まで何回も暴れ馬に飛び乗った。

最初にしてはうまく乗れたようなので(毎回8秒間乗っていなければ競技では失格である。)その場で出来た数人のカウボーイの友達が、お前何処のプロロデオに出てるんだ、と聞いてきた。でも一ヶ月も乗っているとボロが出てきて他の生徒達とかわらなくなってしまったが、先生のジムには覚えられて、期間中には彼とローカルのテレビ番組でインタビューをすることになったのである。何を聞かれても同じことを叫んだ。「 ジョンウエインが俺のヒーローさ。彼のようにカウボーイになりたくて日本からやって来た。アメリカは頑張れば夢が実現出来る国だから大好きだ。」

殆どのカウボーイの懐は寂しいからみんな安物のモーテルに泊まった。毎日のクラスが夕方5時に終ると翌朝7時までは自由時間である。みんなでピックアップトラックの荷台に乗って町に繰り出し飲み始める。勿論若い娘達が集まりそうな所を虱潰し、踊って謳って騒いで女の子の尻を追っかけまわす、こんなことを毎晩夜中まで繰り返す。そして二日酔いで次の朝また暴れ牛や暴れ馬に飛び乗っていくのだから無茶苦茶である。今思えば私も負けずとよくやった。多分若かったから出来たのだろう、でもあの荒くれどもと過ごした一ヶ月はあまりにも強烈過ぎて今尚忘れることは出来ない。懐かしくて翌年ももう一度オクラホマを目指したことは言うまでもない。

コロラドに帰ってきてから地方のアマチュアロデオに参加した。参加料もばかにならなかったが面白くて熱中した。二回ほど命拾いした。一回はシュートの中で馬が興奮して直立し押し潰されそうになったが係りのカウボーイが引っ張り挙げてくれ九死に一生を得た。もう一回は馬に振り落とされ直後、馬の後ろ足が私の頭ギリギリの所へ落ちて来た。もうチョッと寄っていたら私の頭蓋骨はグシャグシャになっていたことだろう、何せ一トン近くの塊で潰される訳だから。

この時分に今の女房と出逢った。だから彼女は暴れ馬に乗ったクレージーな私を知っている。二回目にジムの学校へ行った時に次は暴れ牛に乗ってみないかと言われた.私は両足の締め付けが強いからいいブルライダーになれるぞ、とおだてられたからその気になっていた。しかし、彼女に超危険だから暴れ牛だけには乗らないでと懇願されその夢は果たせずに終ったことに今だ未練が残っている。でも今迄の人生であの暴れ馬に乗っている“ 8秒間 ”程激しく燃えて戦慄を覚えたことはなかった。

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