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ターバンを巻いた巨人

私の会社人生は出張人生と言ってもよいほど、暇?さえあれば外を出歩いていた。ニューヨークをベースに多い時は月2回は海外へ、そしてその間は勿論国内出張が目白押しだった。会社のトップは最高のセールズマンという信念で営業に出掛けたし、常に自分で市場と接することの重要性を理解していた。だから家に居ないことが多く、また居ても朝は早く出るし、夜は遅くまで帰らない、必然的に近所の人達からあそこは母子家庭ではないかとよく言われた。

海外戦略の要である米国現地法人が軌道に乗るや、それから数年間のうちにヨーロッパを中心にあちらこちら会社を作っていった。その突撃隊長を命ぜられたから正直休む暇も無かったと言うのが当たっている。一時期私のテリトリーは欧州及び南北アメリカ大陸と広汎であった。でもお陰様で数え切れない程の国を訪問させてもらったし、それらの国々での体験は、私の人生に於いて掛け替えのない糧となっている。

アメリカに長く住む日本人は一様に肌の色が変わってくる。チョッと浅黒い感じで何とも形容し難い。それは水や気候や食べ物の所為らしい。だからこちらで私はまず日本人に見られたことはない。大抵がメキシコ人か中南米系の国の名前が出てくる。日本や東南アジアへ行くと、今度は何故かしらフィリピン人である。俺は正真正銘の大和男児だぞ、と叫んでみてもこれは客観的評価だから自分ではどうしようもない。でもそんなことは、もうどうでもいい。旅のあちらこちらで、何処から来た?何人だ?と聞かれる度にもう随分以前から私はコスモポリタンです、と答えるようにしている。辞書によると、国籍、民族などにこだわらず全世界を自国とみなして行動する、世界主義者、世界市民、国際人。とある。かって誰かが世界は一つ、人類は皆兄弟と言ってたことを思い出す。そういう気持ちで接していけば世界中何処へいってもうまくやれると言うことを己の体験から学んだ。

本当にあちらこちら行った。ヨーロッパ、南北アメリカ大陸で数十カ国は訪れたことであろう。失敗談、成功談、そして少しばかりの武勇伝。まさに旅は人生の教師である。でも不思議と東南アジアは少ない。かっての香港やマカオ。台湾や中国本土だけである。しかし日米間所謂太平洋間は軽く100回以上は往復をしてきた。夫々の旅先でありとあらゆる体験をしてきたので語り始めたらとても数ページくらいでは納まらない。従ってここでは取って置きの一つを紹介したい。気を回す向きは、また武勇伝?でも話すのかなと思うだろうが、今回はチョッと趣のことなるレポートとなる。

ある年ドイツの営業会議出席の為に、初めて東洋でも西洋でもない国、アフリカ大陸の北西に位置するモロッコを訪ねる機会があった。あの映画のカサブランカや歌のカスバの女で有名な所である。所謂アラブの国は私には全く未知の世界であった。でも好奇心旺盛な私は何でも見てやろう、聞いてやろう、食べてやろうと例の積極性でもって砂漠の文化を理解しようと努めた。

会議はアガーディアというリゾート地で行われた。そこに隣接する港町を散策していると驚く無かれ、数人の日本人に出会った。ここは地の果てアルジェリアではないが日本からよくぞこんな遠い所にと思ったが、聞けば遠洋漁業の基地となっていてここで水揚げされた魚を日本へ送っているらしい。今の時代、世界の何処へ行こうと我々の仲間はいる。戦前では考えも出来なかったことだろうが僅か半世紀も経たぬうちに仕事に観光にと果敢に海外へ雄飛し、進取の気性でもって世界を狭くしてしまったわが同胞を誇りに思う。

会議の合間を縫って皆でマラケッシュというモロッコ第二の都市へ出かけた。勿論有名なジャマエルフナ広場(世界文化遺産)を訪ねるのが主目的であった。ここは一日中人、人、人で一杯である。蛇使い(例の笛を吹くとコブラがダンスするやつである。)水売り、べリーダンサー、講釈師、綱渡り芸人、子供のボクサーなどなど、が多くの屋台の食べ物屋の近辺でエンタメしている。メディナという案内人と一緒で無ければまず脱出不能な迷路を抜け出すと、この異様な光景に出くわす。夜も遅くまで賑やかで喧騒が何時までも続く。こんな活力ある光景は今まで見たことがなかった。あの広大なサハラ砂漠と隣接しなければこんな文化は生まれないのだろうか?この広場で見られたごった煮的な生活が醸し出す“生きる文化”“生活の文化”が世界文化遺産として認定されたのであろう。

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