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ここだけの話

就職した年はいざなぎ景気と呼ばれ高度成長時代の真っ只中、GNPも早世界第二位となり霞ヶ関ビルの出現で超高層ビル時代の幕開け、等々と戦後の復興期からいよいよ奇跡の成長へという段階の日本だった。従って建設ブーム、日本中で槌音が聞かれ、私も高速道路の建設現場勤務となった。

現場はお決まりのように突貫工事がしばしばあったから、仕事の内容は単純でも勤務は厳しかった。土曜日曜などある筈もなく、月に一度休ませてもらうのがとても有難かったことを覚えている。技術屋の連中がいわゆる現場監督となっているが、私もしょっちゅう現場廻りをしたのでいつの間にかそう思われたらしい。

入社ホヤホヤの新入社員があっという間にエライ人?になってしまい悪い気はしなかった。下請けの親分が、ひじかたさん達の前で他の若い現場監督や私に対し丁寧な言葉で接するので、一目も二目も置かれるようになる。若いキャリアが地方の税務署長になって威張る気持ちが解る様な気がする。若いうち煽てられた人間はろくな者にはならない。私もこのお陰で?後年酷い目に会うから、若いうちの苦労は買ってでもしろ、という祖父の言葉は正しかった。

”土方殺すにゃ刃物は要らぬ、雨の三日も降ればいい。”とは建設現場では有名な言葉である。日雇いの作業員にとっては日銭が入らない、そしてやることもないから朝っぱらから酒を飲んだり花札賭博をし暇にまかせて買いにもいくから(所謂、飲む打つ買う)、ボケボケしていると雨が降っているうちにいつの間にか出費がかさみそのうちどうしようもなくなる。

親方に前借をしてもそんな調子で遊ぶから中々返せない。やがて飯場ガラスとなってドブ漬け生活から出られなくなる訳である。我々はと言うとまあ似た様なもの、一応現場事務所にはいるもののまず麻雀、そして何故か午後3時過ぎると酒を飲みながらということになる。でも遊んだ後が怖い。工期の遅れを取り戻す為、突貫工事になることしばしば、現場が盛り場の近くだったから余計チクショウーと思ったのである。

突貫工事ともなると、時々はオフレコで一升ビンを何本も買って差し入れてやる。多分休憩の時にでも飲んで勢いをつけるのだろう。そうして面倒を見てやると見返りも大きい。ある時社員旅行と称して現場の社員10人程で有名な温泉地へ行った。初めから終りまで豪勢な大名旅行で、何故か自分達の財布は全然痛まなかった。聞けば下請けの会社が全部段取りした様である。酒池肉林の世界とはこのことかと思ったが、同時にこの接待費なるものは何処からどう出てくるのかさっぱり見当がつかなかった。いや社内でのランクからいくと我々は雑魚であったからそんなことは上のエライ人達にまかせてどうせここまで来たんだから腹一杯楽しまなきゃと、所謂“芸者を挙げる”と言うやつでとことんハメを外したのである。

給料日には決まって夜の街に繰り出した。現場は大阪ミナミよりもっと南で電車で一時間くらいの所にあったが、二次会、三次会となるとタクシーで遠くは京都や神戸まで遠征したから、財布もすぐに底をついた。次の給料日まではないないずくしだから現場近くにある一膳飯屋のオバちゃんに泣きついて、メニューの半額でよく飯を食わせてもらったことを覚えている。別の豪の社員は時々オバちゃんを慰めて?やって、飯代がただという噂を聞いた。上には上がいるものである。

ある時相棒と二人で神戸の盛り場でしこたま飲んで遊んだので二人共財布が空っぽになった。帰る電車賃さえなく思案にくれたが酔いが覚めるにつれ悪知恵が働き始めた。そうだ、チャリンコで帰ろう。。。。。勿論盗むしかなかった。足がつくのを恐れ半時間ごとに乗り捨て、次の奴に飛び乗った。深夜でも国道一号線はトラックが多く危険極まりなかったが、そんなことも言っておれず必死にチャリンコを漕いだ。

朝方5時頃御堂筋についたが車も殆どなく閑散としていた。銀杏並木を颯爽とチャリンコで走る気持ちよさと言ったら筆舌に尽くせ難いものがあった。現場まではとても帰れず、道頓堀近くの支店の独身寮に潜り込んだ。20時間位寝っぱなしだったから無断欠勤、翌日は上司にしこたま絞られたのは至極当然だろう。でも最高に面白かった。

こんな武勇伝を挙げたら切がない。でも <ここだけの話>が既に時効とは言え誰かにチクられいつの間にかお手が後ろにも廻りかねないからこの辺にしておくが、勿論苦い体験もある。

入社して4年が経った。現場勤務もすっかり居心地がよくなったから支店のエライさんからもう帰ってきてもいいだろうと言われたが、もう少し勉強させてくれと居座った。ある夜例の如く飲みに出かけたが三軒目は初めてのバーに入った。その頃にはかなり飲んでいたし意気があがっていたので、そこにいる鋭い眼をしたお兄さんの存在が解らなかった。しばらくしてやおら彼が、もうチョッと静かにしたらどうや?!と私に言った。私は現場監督との気負いがあったから楽しんで何が悪い?!とつっかかった。二言三言交わしている内に、急に顔面にパンチを食らわされた。私はすっ飛ばされ、一気に酔いが覚めた。

これはヤバイな、と思い、かといって殴られたままズラかるのも癪にさわったから、咄嗟に仕返しをして逃げようと考えた。酔っていても逃げ足には自信があったので、ゆっくり立ち上がると素早く近くにあった椅子を掴み彼に投げ返した。椅子をかわそうとしたが背中に当たり彼は呻き声を上げたが、と同時に私は素早く出口に向かい、そして外へ出た途端後ろを振り向くことまなくただただ闇雲に走り続けた。

やっとの思いで寮に帰ってきて鏡を覗いたら見るも無惨な形相になっていた。鼻はひん曲がり、前歯が折れ、顔はお多福のように膨れ上がっていたのである。翌日聞いたところによると、相手はどうもその筋のお兄さんだったらしい。今まで大きな喧嘩などしたことがなかった自分だが、こともあろうにやった相手が悪かった。それから一週間はヤバイので雲隠れしたが、病院へは行かなければならなかった。

特に鼻の形は何とか元通りにせねばと外科医を訪ねたが、どうも軍医あがりの老ヤブ医者?で酷い目にあった。こともあろうに麻酔なしで耳掻きの親分みたいな長い棒を私の鼻の穴に通し、思い切り鼻を中心に寄せたのである。ボキボキッと鼻骨が折れる鈍い音が聞こえた。その痛かったこと、涙がボロボロ出てきて止まらなかった。それ以来、歯はガタガタになるし、何故かに急に臭覚も失われてしまった。若気の至りとはいえあまりにも高い代償を払ったものだと思ったが、覆水盆に帰らずの言葉を身をもって知らされたのである。

ともあれ施主(政府関係、地方自治体、私企業等)、施工者、元請、下請け、孫請け等の夫々が利害関係で複雑に絡み合っている為、雑魚の私達にはさっぱり解らない世界であった。当時は汚職や贈収賄は日常茶飯事で、その最たるものが建設業界であったことは私から改めて言及する必要もないだろう。耐震偽装や、手抜き工事等はその当時から存在したことは大方間違いないだろう。

ともかく胡散臭すぎると言うのは私達雑魚のレベルでも感じられたくらいであるから押して知るべしである。あれから四十年近くなるが、相変わらず政治家と建設会社の癒着がメディアを賑やかせている。懲りない面々と言おうか、この業界の体質は改善されたとは言え根本的には変わっていない様な気がしてならない。

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