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いい加減な職探し

私達はいわゆる団塊世代の前、終戦の年生まれだったから人数が極端に少なく、必然的に小学校時代より厳しい競争もなく甘やかされて育ってきた年代である。加えて高度成長期の真っ只中にあったから、就職で頭を悩ますことは全然なかった。所謂売り手市場で、同期の連中は殆どが大企業への就職が当たり前だった。そのような環境でもあったので、遊び呆けた大学時代に立派な職業観など無きに等しかった。周りの連中がみんな就職するから、俺もしなければならないんかなあ?位の気持ちだったのである。

ある時、既に卒業し就職しているクラブの先輩に聞いた。「 私は真面目に一生懸命仕事をしようとは思っていません。何かラク―な感じで面白い職場や会社はありませんかね? 」私の性格を熟知していた彼は暫く考えてこう言った。「 今時そない虫のいい話はあんまりないが、しいてあるとすれば建設会社の現場勤めやな。ひじかた(土方)さん相手の仕事できついけど、飲む打つ買うがセットでついてきおるぜ。お前にピッタリや。」

経済学部だったので建設会社へ行けば事務職、まず偉くはなれない。もっとも一生勤める気などさらさらなく、取りあえずは楽しめる職場であれば何処でもよかったのである。40余年前に既にフリーターやニートの気楽さを求めたのかも知れない。勿論その延長線上にはいずれはアメリカに移住というおぼろげながらの思いもあったから私の決断は早かった。数日もせずに私は有名なある大手建設会社に願書を送ったのである。

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試験会場は東京本社だった。第一日目筆記試験、その夜はクラブの先輩にねだって生まれて初めて銀座のクラブへ連れていってもらった。そこは世間知らずの田舎育ちの大学生にとっては、目も眩む様な別世界であった。綺麗なオネエサンが横に座っただけで私は舞い上がり、その勢いで3-4軒ハシゴをした所までは覚えていた。翌朝は9時の面接試験、二日酔いで起きれるわけもなく昼ごろ目が覚めたが、もう文句なく不採用、しかし礼儀だけは尽くそうと人事部に電話して遅れた事を詫びた。(交通費だけはせしめねばとセコイ貧乏学生の自分がいた。)数分待たされたが、ともかくもう一度出社しろとの返答であった。

まだ面接が行われていたが、私は最後ということで残された。自分にとって早起きはどうも鬼門や、人生これで失敗するかも知れないなと思った。面接室へ入ったら7-8人の役員クラスの連中が待っていた。私は開口一番遅刻を詫びた。

「 君、どうして寝過ごしたの? 大事な面接があることは知っていただろうに 」
「 昨夜は銀座や赤坂で痛飲しました。私は田舎モンなので、あんな綺麗なオネエサン達と酒を飲んだのは生まれて初めて。花の東京の毒気が強過ぎて、前後不覚になるまで飲みました。」
「 中々正直だね。でも面接に遅れると言う事は、大事な商談に遅れる様なものだから、そんなことじゃお客さんに迷惑をかけるなあ?」
「 はい、大いに反省しています。私は完璧な人間ではありませんので、これからも失敗や過ちは犯すでしょうが、同じことを二度繰り返すことは絶対ありません。」 ( 時には嘘も方便や。)
「 ところで君の趣味は ? 」
「 寝ること、飲むこと、走ることです。ラグビーをやっています。別段取り得はありませんが、逃げ足は速いです。」
そんなやり取りが続き、その場にいた大部分の連中は苦虫を潰したような顔をしていたから、もう駄目だと思った。最後に一人の偉そうなオッサンが一言言った。
「 中々面白い若者だね。」

それから一週間後、何故かしら私は採用通知を受け取ったのである。これで益々実社会というものが分らなくなった。そして真面目さは大事だが、ただ真面目にさえしていれば世の中うまく渡っていけるだろうと言う考えはその時以来急速に萎んで行った。

大阪支店勤務となり新人研修が始まった。そしてその最後あたりに再び面接があり色々聞かれた。何故現場を希望するのかって ? 勿論私はそれらしい答えを用意した。「 建設会社では技術屋が現場に出て仕事をするのが当たり前のようだが、事務屋もたくさんいる。しかし彼らは現場を知らない。自分の会社が何を作っているのか、何が売り物なのかを知らずして、どうして真っ当な仕事が出来るのか大いに疑問を持っている。私はいずれ事務屋なりの観点から現場事務の効率化や労務資材管理の改善をしていきたい。だから現場に出して下さい。」と一席ぶったのである。

そして希望通り現場配属となった。同期の事務屋はみんな営業とか企画、経理などの内勤を希望しスーツとネクタイで通勤、私独りが作業服を身につけて大阪を離れた。聞けば新卒の事務屋で最初からの現場勤めは支店始まって以来ということだった。唯々、楽をして遊んで楽しくやりたいというのが本音であったので、内心シメシメと一人ほくそえんだ。

支店はミナミの道頓堀の近くにあったので、一ヶ月の研修中は同期の連中と毎日夜の街に繰り出した。アルサロ華やかなりし頃であったから、面白がってよく通った。でも当時はまだ都会の夜の蝶がしたたかであることを知らない田舎のアンちゃんだったから、つぎ込んだ分だけは帰って来るだろうという甘さがあった。サラ金など無かった時代だから友達や上司に借りてまでのめり込んだ。会社人生最初から赤字財政で始まったのである。

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