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ああ、伊良湖岬

故郷を離れてからやがて半世紀にもなるが、この身はどこにあろうともまた幾つになってもここは私の聖地であることに変わりはない。愛知県は南端の伊良湖岬、そこが私の心の拠り所でもある。

伊良湖岬灯台から太平洋に面して日出の石門まで約1km。太平洋の荒波を受けて湾曲する美しい砂浜が、恋路ヶ浜だ。潮に乗った流木や時には遠い島から椰子の実が流れ寄り、腰をおろすとさまざまな貝殻が花のように散っている。昔、都大路から逃れてきた高貴な男女の恋の伝説が、恋路ヶ浜の由来と言われる。岬の突端のそんなロマンの香り一杯の浜辺は、前方に黒潮の道が流れ、見上げれば空に渡る鳥の道があり、海の向こうの世界に想いを広げる場所でもある。だから、何か大きなものに包まれている、そんな安堵感を与えてくれるのが、私の伊良湖岬である。

生まれてこの方、何百回となくこの岬の先端に立ち、そして恋路が浜を歩いた。三島由紀夫の「潮騒」で有名な神島の向こうに沈む荘厳な夕陽の美しさはこの世のものとは思われない程である。嬉しい時も悲しい時も、辛く苦しい時も楽しい時も、ここに来てこの素晴らしい景色と対話することで、心が癒されたものである。勿論、この岬の先端から遥か太平洋の彼方を眺める度に若き日の私の海外雄飛の夢は真夏の積乱雲の如くドンドン膨らんで行ったのである。

この地はまた昨年11月他界した女房がこよなく愛した所でもある。33年振りの故郷での年末年始を過ごすとともに、私にはここに来る為の別の大きな目的があった。それは彼女がいまわの際に残した「もう一度日本に行きたかった。そして恋路ヶ浜で波と戯れながらあの美しい伊良湖岬の夕陽を眺めたかった。」その果たせなかった願いは彼女の髪の毛と爪の一部を持参しこの岬の先端に彼女と共に立つことにより叶えることが出来ると私は確信した。

彼女はこの伊良湖岬の景色が世界で一番美しいといつも言っていた。彼女は若い頃ヨーロッパにも住んだことがあるのでスイスやイタリアの美しさも十分知っている。アメリカでもあちらこちら美しいと言われる所を多く訪ねたはずである。それでも尚且つ伊良湖岬が一番だと言う。それは景色もさることながら、彼女を受け入れ歓迎してくれた私の郷里の全ての人達の情の深さ、内面の素晴らしさも併せ言っているのだと私は理解した。

思いは35年前に遡る。結婚はしたが赤貧状態、そんな時に女房が妊娠し、両親の計らいで日本で出産することになった。勿論、女房にとっては初めての日本だった。言葉も習慣も食べ物も、いや全てが未知の世界だったのだがそこでの出産を決意しよく私について来てくれたその勇気に感謝した。私は日本ではまだ国際結婚が珍しかった時代に、しかも超保守的な田舎へ女房を連れて行き、こともあろうに出産までさせようとの暴挙?に出たのである。

小さな田舎町、まして外人というもの珍しさも手伝って暫くは私達は好奇の眼にさらされた。しかし時が経つにつれ女房の愛くるしい笑顔と人懐っこさのお陰で両親はじめ親戚友人知人達から温かく手厚い歓待の数々を体験したのである。だから彼女が町の人気者になるのは早かった。そう言ったいきさつがあったから以後私の故郷を訪れる度に、彼女は益々伊良湖岬の虜になって行ったのである。

息子を出産後、私達は今度は三人で再びアメリカ大陸に向かった。暫くして女房はこんな手紙を多くの伊良湖岬の人達に書いて送った。

『日本滞在中に私達夫婦ならびに息子への多くの皆様方の温かいお心遣いに対し、私は何とお礼を申し上げてよいやらその言葉を知りません。どれもこれも皆心打たれる思い出ばかり、過分過ぎる程のご親切やご援助をいただきましたこと美しい国日本とともに生涯忘れることは出来ません。本当の日本と日本人の素晴らしさを知った今、私がこの夫を選びそして日米の架け橋としての息子を授かったことは私の、誠掛け替えのない誇りであり幸せでもあります。ああ、私の親愛なる伊良湖岬の人々、本当にありがとうございました。心より厚く御礼申し上げます。』

岬の先端にあるホテルのロビーから見えるスケールの大きなパノラミックビューを心行くまで堪能してから、私は菩提寺に赴き彼女を先祖代々の墓石の中に入れてやった。そこには既に私の父と兄が眠っているのだが、彼らは私の女房が思いがけなく早くやってきたので驚いたことだろう。しかしと同時に彼女は生前の彼らにとっては大変お気に入りの嫁、義妹だったので今頃は盛大に彼女の歓迎の宴を開いているに違いない。

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